KANACANADA

昨年9月からの8ヶ月間カナダに行ってきた、プロのイラストレーター志望のブログ。

帰ってきました!!日本に!!

こんにちはkanonです。なんと今日本にいます。

二日前に日本に帰国しました!

 

 

チケットの予約のときに間違えて苗字と名前を間違えてしまったり、春の低気圧に巻き込まれ、飛行機がめっちゃ揺れて思わず死を覚悟したというアクシデントもありましたが、無事に飛行機に乗り込みたどり着くことができました。

 

帰国の朝、ホストマザーは仕事のために一足先にお別れしました。優しい言葉とハグで思わず泣きそうになりました。空港に着いてからも、マザーの香水の匂いが香り、それがより一層寂しさを際立てました。

 

ふとシンクを見てみると、その日の夕食用の冷凍鶏肉がありました。

私のいない家でこれを食べるのかな、としみじみ思いました。

 

空港へはホストファザーが送ってくれました。

車の中で、カナダの風景を目に焼き付けながら、ペットたちのこと、日本の風土のこと、いろんなことを話していました。

 

車窓から流れていくカナダの広大な海、山、森、その日は珍しく馬が歩いているのを見ることができました。

 

ホストファザーともハグをし、お別れ。

ハグというのは本当に優しく素敵なものだと思います。

 

何度も涙を誘う体験を経てようやく日本へ。

 

涙は見せません!

 

泣いてしまったらきっと以前のホームシックになった時のように、長いこと止まらないですから!

 

涙は日本に帰ってしばらくして、ふとカナダを思い出して流すものだ、という思いを胸に無事日本に帰国しました。

 

 

 

Japanese Church(後編)

こんにちはkanonです。前回の続きです。

 

キリスト教一神教

 

日本の信教ようにたくさんの神様がいて、キリスト教の神もその神の一つ、そういう考えは通用しませんし、キリスト教を完全に信仰する人(洗礼を受けた人)にとっては「神様がいる」というのが当然なのです。理論や理屈関係なくそうなのです。

 

「神様って本当にいるの?」なんて質問がキリスト教徒にとっては地雷(人によると思いますが)だということもここで知りました。

 

中には、ダーウィンの進化論を完全否定する科学者だっています。

 

そして、私の教会の皆さんが進化論が間違っているということを口々に言うものですから、その様子が少し恐ろしく感じたのです。

 

そして調べ、悩んでいるうちに来る日がきました。

 

「聖餐会」です。

 

これはキリスト教の洗礼を受けたものが、キリストの血と肉を模したパンとぶどう液を頂く儀式。

 

まだ洗礼を受けていない私ですが、この時は「信仰告白」が略式の洗礼だと思っていたので、とにかく焦りました。

 

「私はキリスト教徒じゃない!」ここまで来て、いい出せませんでした。

ですがそのパンとぶどう液は私の元には来ませんでした。

 

後でぶどう液とパンをもらっていた医療通訳さんに聞いてみると、

 

「あれはちゃんと水を浴びて洗礼した人しかできない儀式なんだよ」

と教えてもらいました。「でも、信仰告白しちゃった」と焦って伝えると

 

「本当の洗礼はそんな簡単なものじゃないよ、本気で洗礼を受けたいなら最低でも1、2年はかかるんだよ」

 

と教えてもらいました。

 

つまり私はまだ、キリスト教の完全な信者ではない。

 

水をかぶらなければ(洗礼を受ける)、完全な信者にはなれない。

そしてその洗礼を受けるのは結構難しい。

 

肩の荷がすっと降りた気がしました。

そうだ、あの優しい牧師さんが無理やり人の意思を聞かずに洗礼をするわけがない。

この時ばかりは神様に目一杯の感謝を伝えました。

 

そしてそれからというもの、肩の力が抜けた私は

「教会の人と関わっている時だけは、キリスト教徒でいよう」

という考えのもと行動をするようになりました。

 

誰だって、自分の信じているものを馬鹿にするような態度を取られることは嫌ですから、せめて教会の人と関わっている時は、本気の信者として振舞おうと思ったのです。

どうせ洗礼は難しくて、今の私にはできないのだから。

 

若干の諦めと、糸がほぐれたような開放感から、私はこの教会での生活を本当に楽しめるようになったのだと思います。

 

信者外からの、つまりキリスト教に対する第三者からの目線を残しつつ、キリスト教に対する理解を深めよう。

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そうしてこの絵が生まれたのです。「赤い靴」

赤い靴は二つの物語を参考にしています。

一つはカーレンという娘の出てくる童話の方の「赤い靴」。

赤い靴 (童話) - Wikipedia

もう一つは日本の童謡の方の「赤い靴」。

赤い靴 日本の童謡・唱歌 歌詞と試聴

 

このどちらも関わってくるのが「キリスト教」。

童話の方は、カーレンが反省しキリスト教教会での慈善活動に勤しむこと。

童謡の方は、赤い靴を履いた女の子が、キリスト教の宣教師に引き取られて異国に行くこと。そして、キリスト教の洗礼を受けたことを歌詞で「青い目」と表現していること。

この絵において中央の少女以外は全員「青い目」です。

中央の少女は「アミー」という「魔女」であるという設定があります。

thought-portfolio

宗教上、魔女は神に背くもの。つまり、この青い目の人物は「魔女」であるアミーが見えていないというわけです。きっと存在すら知らないのでしょう。

 

それでもアミーは自分を認識できない人たちのことを知っているわけです。

そして、かつては自分のことを認識できたその人たちを、赤い靴を見ながら考えていることでしょう。

 

キリスト教について面白いと思う反面、シニカルに見ている部分もあるという自分の内面がよく出ているな〜と文章にしていて思いました。

 

第三者としての目線とキリスト教への学びを同居させ、教会との関わりを心から楽しむ事ができるようになったのです。

 

その一方で、自分の悩みを解決するような教えだったり、得しそうな情報はじゃんじゃん吸収させていただきました。

 

そうやってキリスト教との共存を楽しんでいる中、ついにカナダでの最後の礼拝の日がやってきました。教会の皆さんにお別れ会を開いていただき、 さらに教会で友達になった方ともお茶をしてきました。

彼女はまだカナダに残るので、わたしが買い貯めたけど封を切っていなかった日本食を全て譲りました。もちろん賞味期限はちゃんと確認しましたよ!

 

日本に帰ってからも教会通いはできる範囲で続けたいと思っています。洗礼を受けるとかは今の所考えていません。初詣には神仏に手を合わせ、クリスマスにはチキンを頬張りつつキリストの誕生日を祝う。結局キリスト教について学んでも、この生活を変える気はしばらくありませんが、もっと学びたい…というジレンマを楽しみつつどうしようか決めようと思っています。

 

キリスト教だけでなく宗教に関しては、たいていの人が自分の宗教を持っているため、世界共通の話題です。現にわたしも留学生間で宗教の話をしたことがあります。

 

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そして宗教を持つほとんどの人が「その宗教に一生を預ける覚悟がある、心から信じている心から信じている」人たちです。

 

宗教が違えど、一生をかけて信じる人たちを理解しようとする。

 

そういった意味では今はまだまだおちゃらけてるようなkanonですが、これからの学びとともにそういう気持ちを育んで生きたいと思いました。

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 (最後に。大学一年の、まだ宗教についてよくわかってない頃に描いたイラストですけど、これが一番宗教画っぽいです)

 

 

Japanese Church(前編)

こんにちはkanonです。今回は長いので二つに分けます。

先日通っていた日系人教会で、最後の日曜礼拝に出席した際に、教会の皆さんがお別れ会を開いてくださりました。f:id:azumikanon:20170404134607j:imagef:id:azumikanon:20170404143009j:imagef:id:azumikanon:20170404143013j:image

 

優しい教会の方々にお別れの言葉とハグをいただき、「また帰ってきます!」と言いつつも泣きそうになってしまいました。

 

思えば私の留学生活は、この日系人教会(Japanese Church)とともにあったようなものです。

 

日系人教会で、他の学校に通ってたり、生まれた時から現地で暮らすバイリンガルの友達もできました。

 

そして教会の牧師さんは若い仲間を集めて、いろんなところに連れて行ってくれたり、夕食に招待してくださったり。f:id:azumikanon:20170404134248j:imagef:id:azumikanon:20170404134456j:imagef:id:azumikanon:20170404134540j:image

 

日曜礼拝でも、以外と面白かった聖書のお話、そして現地で暮らす日本人としての視点での生活のアドバイスをいただいていました。

 

異国での孤独を癒し、かつ私に新しい世界を見せてくれた。それがこの教会だったんです。

 

ということで、私と教会の馴れ初めを、今まで描いた宗教画(と言っていいのかわからないのですが)とともに振り返っていこうと思います。

 

教会を知ったのは、去年の11月、医療通訳でお世話になった方から教えてもらいました。

 

azumikanon.hatenablog.com

 

最初は「無料英会話教室」 という餌にかかっての礼拝でした。

英会話教室も結構良かったし、現地の日本人とも触れ合えるし、それに聖書の話面白いから絵の資料になるかも〜、何て事を考えながらの礼拝でした。

この頃はまだ通っているというよりも、行ったり行かなかったりという感じでした。

 

12月には、クリスマス前ということで人手不足だった聖歌隊に参加しました。

知らない聖歌を当然のように歌う周りに合わせての練習でした。

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「いや、本番ダメだろう・・・」という思いは口に出さず、ただただ賛美歌を口ずさみます。

 

最初は恥ずかしいし、別にキリスト教になるわけじゃないしと小声で歌っていましたが、だんだん歌うに連れて気持ちよくなっていき、腹の底から声を出して歌いましたが、やはりこのままキリスト教に染まっていく自分に漠然とした不安を抱いていました。

 

聖歌隊という今まで無かった視点から、今まで無かった絵が生まれました。

ポインセチアに宿り木、キリスト教的な植物が満載です。

 

そして1月、心身ともにボロボロになってカナダに帰ってきました。

そういった中でもこの教会には仲間がいて、優しく接してくれる人がいて、私にとっては癒しのようなものでした。この時期からほぼ毎週通うようになりました。

 

しかし、そこで私が本気でキリスト教について考える事件が起こります。

 

いつものように牧師さんに2週間に一回の夕食に招かれていたその日、教会で友達になった子が「キリスト教に改宗したいけど、親が許してくれない」という話を切り出しました。牧師さんはその子にそのことに対する解決策を提示してくれました。

 

キリスト教だって、親の仏教式の葬式に参列したりするし、お墓に手を合わせにだっていくよ」と。

 

しかしその後、「とりあえず信仰告白をしておこう」とその子と一緒に、対してキリスト教に関して改宗したいだのという意思を持ち合わせていなかった私は、一緒に信仰告白をすることになってしまったのです。

 

「あれ?もしかして今のでキリスト教に改宗しちゃったってこと?」

「こんなに強引に改宗させられるの?」

 

「申し訳ないのですが、私はまだそこまで信仰しているわけじゃありません。」今なら断る言葉はいくらでも思いつきますし、そうすればよかったかもと思います。

 

しかし私はあまりにもとっさの出来事に断ることはできませんでした。

 

とっさの出来事に顔から血の気が引きました。そしてその日から、私はキリスト教について疑念を持ち始め、そして調べ始めます。

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azumikanon.hatenablog.com

 

この絵はそういった合間に描いたもので、キリスト教への疑念から「仏教式の葬式っぽくする!!」という一種の対抗心のようなものをむき出しにして描いた作品です。

菊の花は、私が子供のころいった仏教式の葬式で、故人の棺の中に菊の花をいっぱい詰めていたことを思い出し(実はこれキリスト教式の葬式でもやるそうです。)描いたものです。

 

この絵を描いている時、子供のころのことをじわじわ思い出し始めめ結構楽しく描けたのですが、同時に今までのかなり自由な宗教観というものを振り返ることになりました。

 

後編に続きます

花と帰国準備

こんにちは、kanonです。

バンフから帰ってきて以来、最近は帰国の準備に邁進しております。

 

ごちゃっと荷物だらけだったタンスの中を片し、服も四日分だけをのこしダンボールに詰めます。

利用したのは以前のブログでも紹介しました、「Brand New Way」さんところの

クロネコヤマト詰め放題パック」!!!

www.yamatoamerica.com

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ガラス製品、その他の禁制品以外ならなんでも詰め込んで、船便よりも早く安価で日本に送ることができます。

 

そして趣味で集めたガラス製品、アンティークは詰め放題パックでは送れないのですが、クロネコヤマトの国際郵便を使って送ります。

これはクロネコヤマト USA のアカウントを作り、そこから送り状を作る必要があります。

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この写真では割れ物がむき出しですが、実際には現地の郵便局で買ってきたプチプチと新聞紙でぐるぐる巻きにして包み、その周りを柔らかめの衣類でカバーしています。

 

海外の割れ物の宅配は割れることが多いので、完全ガードという形をとります。

 

そしてこれも問い合わせてみたところ、Brand New Way さんが荷物の受け取りをしてくれているそうなので、後日出しに行きました。

 

食べそびれたおやつは

 

そして片付けていると、いろんなものが見つかります。

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これは一時帰国の直後、あまりにも気持ちが落ち込みすぎた時に書いた抱負みたいなものです。

うつ病の防止法、帰国までの日時、「あまり頑張りすぎない」をモットーに書きました。

それが今じゃ「帰りたくないな」なんて考えているのですから、時とともに成長しているのかわがままになっているのか、っていう感じです。

 

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冬物の帽子です。結局ほとんど被りませんでした。どことなく色合いが猫ちゃんに似てたので、渡してみたら必死になって帽子を毛繕いしていました。

めっちゃ可愛かったのですけど、さすがにアクリルの繊維とか体に悪そうだったので、すぐにやめさせました。

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空のフラワーポット。実は記事にはしていないのですが、一時帰国の直後、ホストファミリーに誕生日を祝ってもらった時にもらった花のプレゼントです。

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花が好きなので、花のプレゼントはよくもらうkanonですが、とにかく寂しく辛い時期にもらったこの花のプレゼント。

 

まだ緑の芽をつけた花たちが日に日に成長していき開花する姿がどれだけ嬉しく、励まされたことでしょう。

 

あ。もう少しで花が咲く、水をやらなきゃ。

あ、花咲いている!水をやらなきゃ。

 

生きる意味、希望をもらえた花との生活。

 

これほどまでに嬉しい花のプレゼントはありませんでした。

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今はほとんど枯れてしまったのですが、球根系の花もあるため、期待を込めてホストファミリーの庭にこっそり植え替えました。

 

花といえばビクトリアはもう花の季節。

ついにビクトリアの一番美しい季節が到来しようとしています。

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桜もこの通り、日本のとはちょっと違いますが満開です!

こんな時期に帰ってしまうなんて、何て間が悪いのでしょう!!

観光で来るなら春、夏の時期をお勧めします!!

と、思いながらも帰国準備を着々と進め、だんだん様子が変わっていく部屋に少し寂しさを覚えているkanonです。

 

春の風は行く

こんにちはkanonです。

 

先日一足先にホストファミリーの息子さんがオーストラリアに旅立ちました。

 

なんでも半年ほどオーストラリアにワーキングホリデー(留学みたいなものです)をしに行くそう。

こんな置き手紙を残して去って行きました。

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彼と私は、仲がとても良かった訳ではないのですが、それでも彼は異国から来た私を受け入れてくれたみたいでした。

 

彼はよく、ホストファミリーが夕食を作らない日に夕食を買いに車を出してくれました。

その度に 彼も彼で18歳とか19歳なので、やりたいこともあっただろうに、といつも申し訳なく思っていたのですが、彼は苦になっている様子を一切見せずに接してくれました。

 

というか本当に苦にしていなかったのかも、ということに最近になって気がつきました。

 

 

そんな息子さんともお別れし、ついに私も帰国が他人事じゃなくなってきました。

 

 

先日留学後半になってできた日本人の友達が帰国していきました。

彼女とは、よくスタバに行ったり(というか出会ってからほぼ毎日行っていました)、レストラン巡りをしたり、趣味が合致していたということもあり、色々な場所を巡りました。

 

そして私もあと三日で帰国。

 

時間というものはなんて早く流れるものなのでしょうか。

つい最近まで、「留学に行きたい!!」と騒いでいたのにもう「留学に行ってきた!!」となるのですから。

 

と、今ならそう感じもしますが、やっぱり「結構長くいたなあ」という気分の方が強いkanonです。

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ドローイングの楽しさ

こんにちはkanonです。

今回はドローイングについてのお話。

 

最近は絵に対してイマイチ情熱が持てず、かといってこれでいいのか、停滞してるんじゃないかと、悩むスランプ期みたいな時期に差し掛かっておりました。

 

一応絵はこんな感じで描いているのですが、どこまで手を入れるとか、とりあえず何も考えず詰めまくってみる?とか考えるとついげんなりして来て気がつけば筆が止まってるといった感じです。f:id:azumikanon:20170401170043j:image

 

そんなことが続いたある日、この日はテストの遊びに用事がつまりまくりの日でした。暇な時間は大いにあるのですが、家に帰って絵を描く時間はおそらくないだろうなという微妙な時間を潰すために、私の憧れの絵描きさんがよくやってらっしゃる、アナログイラストに手を出してみようと思いました。 

 

その時は特に深いことは考えず、あくまで暇つぶし。そういった感じでした。

 

いざ描いてみると、

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何これ!!楽しい!!

 

それに写真を見ながらでも、ここにはあれを配置しよう、いや引こうか、あ、これ足したいな、と色々と頭を使う上に思ったより自由度が高い。(ということを忘れてた気がします)

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鉛筆だけで描いたものです。きょうは鉛筆削りを忘れたので、細く綺麗でくっきりとした線を引くことが難しかったです。

 

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こっちは下書き無しの写真模写。デッサンといえば聞こえがいいです。

じっくり見て、ここはこうかな?こういう一面があるのかな?考えて描きます。

「私は絵を描くことで初めて知ることができる。」うろ覚えですが私の好きな水彩画家さんの言葉です。デッサンはまさしくそんな要素が強く、勉強になります。

 

永山裕子の透明水彩 Watercolor Masterpieces : Works of Yuko Nagayama

永山裕子の透明水彩 Watercolor Masterpieces : Works of Yuko Nagayama

 

 

 

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以前描いた猫の絵よろしく、結構こういったデッサンに燃えるタイプのkanonです。

カナダに来てから、こういったデッサンタイプの絵が結構ウケるようになった気がします。

 

ただ全体的に見て思ったのは、紙が汚い!見せるなら真っさらの、もっといいものを使いたいところです。

 

普通に楽しい、考えて描くことができる。そんな一石二鳥なアナログドローイング、今後も忘れずに続けていけたらなと思います。

 

悔い改めること

こんにちは、kanonです。

帰国まであと十数日。数える程しかなくなってきました。

帰国後の大学での生活や課題を思い、課題の処理に追われる日々です。

 

今回のお話は、「私がカナダで学んだこと」、ちょっとメモっぽくなります。

 

帰国後、留学分の単位を認めてもらうために、私が「この留学で学んだこと」を英語で発表するという課題があります。最近私はそれについて考えていました。

 

というのも、私の他に留学に行った人たちは「語学留学生」としてではなく海外の大学で正式に授業をする「学部留学生」という形で行ったからです。

多分帰国後の成果発表では、「見て!このCGここまで出来るようになったよ!!」とか、「この大学に留学して絵がめっちゃ上手くなった!」とかそういう成果の発表をするのでしょう。

英語を話し、時には苦しい思いもして、留学に対する苦労はおそらく私と同じはずで、さらに技術まで身につけて帰ってきているのです。

 

とりあえず英語だけ勉強してきた私に勝ち目は無いに等しいのです。(勝ち負けでは無いはずなのですが・・・・)

 

負けるとはわかっていても出さなきゃ単位が認めてもらえないので、とりあえず私が英語が話せなくとも学んだことについて考えているところで、先日行った日系人教会の牧師さんのお話を聞きました。

 

そこで、「もしかして私のこの留学で学んだことって簡単に言うとこれなのかな〜」というお話があったのでそのことについてのお話です。

(ただ聖書に関してはそこまで詳しくないので結構間違っているところもあると思いますが、ご容赦くださいませ。)

 

その日の牧師さんのお話は、「ペテロ」についてのお話でした。

 

ペテロの裏切り - 牧師の書斎

ペテロというのはキリストの弟子の一人です、キリストに熱い忠誠心を抱いていたにもかかわらず、いざキリストが十字架にかかるとなると、キリストを見捨て自らの保身を選んでしまったという人。

 

もう一人、キリストにはユダという弟子がいました。彼はキリストが十字架にかかる原因になった張本人、役人にキリストを銀貨で売ってしまったのです。

 

どちらも罪の大きい小さいは置いておいて、「キリストに対して罪を犯した」ということには変わりません。

 

ですがその牧師さんのお話によると、キリストに対して罪を犯したその後に決定的な違いがあるのだそうです。

 

ユダは、キリストを売ってしまったことを悔い、苦悩の末自殺をしてしまいました。

一方ペトロは、キリストを見捨ててしまったことを悔い、そして三日後に蘇ったキリストに「弟子たちの世話をしなさい(つまりイエスはペトロを許したということです)」と命じられ、反省しイエスを心から信じる(悔い改めるの改めるの方です)ようになったのだと言われています。

 

「悔い改める」というのは自分の行いを反省し、改める(改心する)こと。

 

何か悪いことがあった時「自分が悪い、弱い」とつい思ってしまう。だけどそんなことはすでに神様は知っている、なぜなら人間は元々「弱い生き物」であるから。

それでも神様はそんな人でも助けようとしているのだから、「後悔したまま」ではなく「改めること」をしなさい。

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うろ覚えですがこんな話でした。

 

後悔したままではなく、改めることをする。

 

これはこの留学生活にとってとても重要なことだったなあと思い出しました。

 

留学中、私は煮え切らない思いを抱えて生活することが多かったなと感じました。

一時帰国の後のホームシックもそうですが、なかなか人と馴染めなかったり、ドジを踏んだり。

 

その度に私は思うのです。

「ああ、自分はなんてダメなやつなんだろう・・。」

 

時にはその手の発達障害でもあるんじゃないかと思うほどです。そんな経験が積み重なり、日本にいた時は対して低くもなかった自己評価がじわじわ下がっていくわけです。

 

自分への自信もなくなり、最初の頃は気合でなんとかしていた英会話も、じわじわ出来なく、というかやらなくなっていきます。

 

しかし、そうやって自分の気持ちがドンジリに来た時に思うのです。

 

「もう自分がダメなのはよくわかったから、せめて何か解決策を練ろう。じゃないとこの状況が好転することはないだろうな」と。

 

日本にいた時は、そんな極限の状況に置かれても課題の締め切りとか以外はだいたいのことは自分で解決せずに済んだのです。

 

親や友達や先生に解決してもらう、どっかで教えを乞えばこのことは解決するだろう、そして最終的には時間が解決する!!

 

とにかく人任せ物任せ、自分で解決しようとはしなかったなあと今では思います。

 

かつてそういう状況にあったからこそ、「自分で解決策を練ってそれを元に行動する!」ということを日本にいる時よりも一層感じることができるようになったような気もします。

 

だって今回ばかりは、黙っていても誰かが解決してくれるわけではないのですから。

ましてやここは海外。

自分のやりたいことを主張していかないと、誰も自分に手を差し伸べてくれない。

 

だから何はともあれ相手に意思を伝えるだけでもいい

 

「行動しなくては!!改めなくては!!」と。

 

そうやってやっと行動を開始します。

そんな時はもう失敗も成功も気にしません。

「さっきまで極限状態にいたんだもん!!ここで失敗しようが嫌な顔されようが知ったことか!!」とやっぱり気合で押し切ることが未だに多いです。(そしてまた落ち込むということもあります。)

 

今回牧師さんにしてもらったお話は、「私はダメなやつなので・・・」ということを言い訳に今まで逃げてきた自分に対するお説教でもあるかのようなお話でした。

 

「私はダメなやつなので人を不快にさせてしまうんです。」

じゃあその人を不快にさせたままでいいの?

 

「私はダメなやつなのでいつもドジばっか踏みます。」

ドジを踏んだのはわかったから、次ちゃんとすればいいじゃん。

 

自分はダメだと反省し、後悔する裏には必ずどこかに改善策みたいなのがあるのかもしれません。

気分次第では、そんな解決策すら思いつかないくらいに落ち込むこともあったりしますが、それでも本質はあまり変わらないのでしょう。

 

 

 私の留学生活は、わからないこと、煮え切らないこと、できないことに対して常に急ピッチで解決策とそれを実行することを求められている。そんな生活だったと今では思います。

 

そしてやはり、それは他の誰でもない自分に求められているものだから、今もこれからも、後悔した時には、自分で改めて行くしかないんだな、と思うことこそ私がはっきり自信を持って「学んだこと」と言えるものだと思います。

 

ですが今だにそれを実行できている感覚は五分五分です。そうやって追い詰められた末に行動に出ることもあれば、煮えきらずうじうじ悩んでいることもあります。

 

留学体験記最終回ちっくになってしまいましたが、まだまだ未熟なkanonの留学は続きます。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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