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KANACANADA

9月中旬から半年間カナダへ留学するプロのイラストレーター志望のkanonの体験記(メモ書き)ブログ。

悔い改めること

THOUGHT

こんにちは、kanonです。

帰国まであと十数日。数える程しかなくなってきました。

帰国後の大学での生活や課題を思い、課題の処理に追われる日々です。

 

今回のお話は、「私がカナダで学んだこと」、ちょっとメモっぽくなります。

 

帰国後、留学分の単位を認めてもらうために、私が「この留学で学んだこと」を英語で発表するという課題があります。最近私はそれについて考えていました。

 

というのも、私の他に留学に行った人たちは「語学留学生」としてではなく海外の大学で正式に授業をする「学部留学生」という形で行ったからです。

多分帰国後の成果発表では、「見て!このCGここまで出来るようになったよ!!」とか、「この大学に留学して絵がめっちゃ上手くなった!」とかそういう成果の発表をするのでしょう。

英語を話し、時には苦しい思いもして、留学に対する苦労はおそらく私と同じはずで、さらに技術まで身につけて帰ってきているのです。

 

とりあえず英語だけ勉強してきた私に勝ち目は無いに等しいのです。(勝ち負けでは無いはずなのですが・・・・)

 

負けるとはわかっていても出さなきゃ単位が認めてもらえないので、とりあえず私が英語が話せなくとも学んだことについて考えているところで、先日行った日系人教会の牧師さんのお話を聞きました。

 

そこで、「もしかして私のこの留学で学んだことって簡単に言うとこれなのかな〜」というお話があったのでそのことについてのお話です。

(ただ聖書に関してはそこまで詳しくないので結構間違っているところもあると思いますが、ご容赦くださいませ。)

 

その日の牧師さんのお話は、「ペテロ」についてのお話でした。

 

ペテロの裏切り - 牧師の書斎

ペテロというのはキリストの弟子の一人です、キリストに熱い忠誠心を抱いていたにもかかわらず、いざキリストが十字架にかかるとなると、キリストを見捨て自らの保身を選んでしまったという人。

 

もう一人、キリストにはユダという弟子がいました。彼はキリストが十字架にかかる原因になった張本人、役人にキリストを銀貨で売ってしまったのです。

 

どちらも罪の大きい小さいは置いておいて、「キリストに対して罪を犯した」ということには変わりません。

 

ですがその牧師さんのお話によると、キリストに対して罪を犯したその後に決定的な違いがあるのだそうです。

 

ユダは、キリストを売ってしまったことを悔い、苦悩の末自殺をしてしまいました。

一方ペトロは、キリストを見捨ててしまったことを悔い、そして三日後に蘇ったキリストに「弟子たちの世話をしなさい(つまりイエスはペトロを許したということです)」と命じられ、反省しイエスを心から信じる(悔い改めるの改めるの方です)ようになったのだと言われています。

 

「悔い改める」というのは自分の行いを反省し、改める(改心する)こと。

 

何か悪いことがあった時「自分が悪い、弱い」とつい思ってしまう。だけどそんなことはすでに神様は知っている、なぜなら人間は元々「弱い生き物」であるから。

それでも神様はそんな人でも助けようとしているのだから、「後悔したまま」ではなく「改めること」をしなさい。

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うろ覚えですがこんな話でした。

 

後悔したままではなく、改めることをする。

 

これはこの留学生活にとってとても重要なことだったなあと思い出しました。

 

留学中、私は煮え切らない思いを抱えて生活することが多かったなと感じました。

一時帰国の後のホームシックもそうですが、なかなか人と馴染めなかったり、ドジを踏んだり。

 

その度に私は思うのです。

「ああ、自分はなんてダメなやつなんだろう・・。」

 

時にはその手の発達障害でもあるんじゃないかと思うほどです。そんな経験が積み重なり、日本にいた時は対して低くもなかった自己評価がじわじわ下がっていくわけです。

 

自分への自信もなくなり、最初の頃は気合でなんとかしていた英会話も、じわじわ出来なく、というかやらなくなっていきます。

 

しかし、そうやって自分の気持ちがドンジリに来た時に思うのです。

 

「もう自分がダメなのはよくわかったから、せめて何か解決策を練ろう。じゃないとこの状況が好転することはないだろうな」と。

 

日本にいた時は、そんな極限の状況に置かれても課題の締め切りとか以外はだいたいのことは自分で解決せずに済んだのです。

 

親や友達や先生に解決してもらう、どっかで教えを乞えばこのことは解決するだろう、そして最終的には時間が解決する!!

 

とにかく人任せ物任せ、自分で解決しようとはしなかったなあと今では思います。

 

かつてそういう状況にあったからこそ、「自分で解決策を練ってそれを元に行動する!」ということを日本にいる時よりも一層感じることができるようになったような気もします。

 

だって今回ばかりは、黙っていても誰かが解決してくれるわけではないのですから。

ましてやここは海外。

自分のやりたいことを主張していかないと、誰も自分に手を差し伸べてくれない。

 

だから何はともあれ相手に意思を伝えるだけでもいい

 

「行動しなくては!!改めなくては!!」と。

 

そうやってやっと行動を開始します。

そんな時はもう失敗も成功も気にしません。

「さっきまで極限状態にいたんだもん!!ここで失敗しようが嫌な顔されようが知ったことか!!」とやっぱり気合で押し切ることが未だに多いです。(そしてまた落ち込むということもあります。)

 

今回牧師さんにしてもらったお話は、「私はダメなやつなので・・・」ということを言い訳に今まで逃げてきた自分に対するお説教でもあるかのようなお話でした。

 

「私はダメなやつなので人を不快にさせてしまうんです。」

じゃあその人を不快にさせたままでいいの?

 

「私はダメなやつなのでいつもドジばっか踏みます。」

ドジを踏んだのはわかったから、次ちゃんとすればいいじゃん。

 

自分はダメだと反省し、後悔する裏には必ずどこかに改善策みたいなのがあるのかもしれません。

気分次第では、そんな解決策すら思いつかないくらいに落ち込むこともあったりしますが、それでも本質はあまり変わらないのでしょう。

 

 

 私の留学生活は、わからないこと、煮え切らないこと、できないことに対して常に急ピッチで解決策とそれを実行することを求められている。そんな生活だったと今では思います。

 

そしてやはり、それは他の誰でもない自分に求められているものだから、今もこれからも、後悔した時には、自分で改めて行くしかないんだな、と思うことこそ私がはっきり自信を持って「学んだこと」と言えるものだと思います。

 

ですが今だにそれを実行できている感覚は五分五分です。そうやって追い詰められた末に行動に出ることもあれば、煮えきらずうじうじ悩んでいることもあります。

 

留学体験記最終回ちっくになってしまいましたが、まだまだ未熟なkanonの留学は続きます。これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

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